時そば

それはさておき、『時そば』という古典落語をご存じでしょうか?

のっけから何をさておくんだって話ですが、まぁそれもさておき、『時そば』は江戸時代の屋台のそば屋を舞台にお客が勘定をごまかす滑稽話で、「いま何どきだい?」のセリフでお馴染みのアレです。

過去色んな落語家さんの時そばを聞いてたけど、中でもイチバン好きなのは柳家喬太郎さんのそれです。
彼は新作落語も得意にしてるだけあって、本編に入る前に話す『枕』では現代の立ち食いそば屋のコロッケそばを取り上げて本編に劣らずの笑いを取るのは流石です。

↓お時間あるときに演目動画もぜひ(05:00くらいから本題)

それはさておき、立ち食いそば屋といえば自分がまだ駆け出しの雇われデザイナーで、実家のある埼玉の奥地から都内に通勤していた時のことを思い出します。

とある冬の朝、僕は通勤前に最寄り駅の立ち食いそば屋で「かき揚げそば」を大盛りで頼んだ。
すると店のおばちゃん(推定年齢 30〜80歳)から予期せぬ一言が発せられた。

「ごめんね〜、うち大盛りとかやってないんよ〜」

僕は驚愕の出来事に膝から崩れ落ちた。
その衝撃で半月板を損傷しかけたが、それよりも精神的なダメージが大きく、暫く放心状態が続き、その間VRでも見てるかの如く中学生の頃の記憶が目の前に鮮明に広がった。

当時から蕎麦を好んで食べていたわけだが、野球部で新陳代謝も著しく食欲旺盛だった僕としては、並盛りのそばでは満腹中枢を刺激してくれなかった。
しかし、人生経験も少なかった当時、並盛りでの物足りなさをどうやったら解消できるのか分からず、日々悶々としていた。

やがて勉強や部活も疎かになり、心は荒み、不良グループと付き合い、家にも帰らず、不登校になり、家族との関係も悪化した。
※当時、皆勤賞で学校から時計を頂いた話はここではパラレルワールドということにしておきます。

そんなある日、授業をサボって河原にいた僕を担任教師が連れ戻しに来た。
彼は乗って来た竹馬から降りると、僕の隣にゆっくりと腰を下ろし、こう言った。

「いいか、よく聞けよ。『そば』と一言でいってもな、実はその盛り方には2通りある…

並盛りと……大盛りだ!

彼はそう言い残すと、再び竹馬に乗り、川の中へと消えていった。

それはさておき、大盛りという選択肢を知ってから僕の人生は大きく変わった。
疎かだった勉強も部活も順調に結果を残すようになり、片思いだった恋も実った。

その後も、悲しいときや辛いとき、どれほど「大盛り」に救われてきた事だろう。
心なしか今でも京浜東北線の大森駅に来ると安堵感に包まれる。

…とまぁ、途中の空想話から帰還しますと、その地元の立ち食いそば屋で大盛りの選択肢がないということは当時の僕にとっては免れない兵役を告げる赤紙が届くような絶望感に苛まれた。

しかし野ざらしのホームで凍てつくような寒さに加え、幻覚が襲って来るような空腹。

僕は生命(いのち)を繋ぐため、しぶしぶ並盛りを注文した。

まずは、かじかんだ手を暖めるようにどんぶりを両手で覆い、澄んだ琥珀色の汁を静かにすする。
口の中に広がるしょっぱさが出汁に溶け込んだ醤油の塩分によるものなのか、自分の頬をつたう涙によるものなのかは分からなかった。

そして事件はその後起こった。
僕が並盛りを食べ終わろうとした頃、後から来た常連らしいサラリーマンが横に立ち、店のおばちゃんに「山菜うどんね〜」と慣れた口調で注文した。

すると、おばちゃんから耳を疑う衝撃的な言葉が飛び出した。

「今日は大盛りじゃなくていいのかい?」

 


「今日は大盛りじゃなくていいのかい?」

 

 


「今日は大盛りじゃなくていいのかい?」

 

 

おい、おばちゃん!

大盛り出来るんじゃねーか!!!

↓これくらいの差を感じました